202111

本学小児看護学領域の先生方と一緒に。
右側が福冨先生です。

聖路加国際大学大学院看護学研究科・小児看護学
福冨 理佳

横浜市立大学医学部看護学科を卒業後、同大学附属市民総合医療センターNICUにて勤務。2018年に聖路加国際大学看護学研究科助産学修士論文コースを修了し、現職に就く。

What It Is and What It Is Not

 ナイチンゲールの『看護覚え書』には“What It Is and What It Is Not”という副題が添えられています。“看護であること・看護でないこと”と訳されたその言葉は、振り返ると、自分自身が看護師としての実践の中心に据えている考え方であり、看護とは何か、の問いにいくら悩んでも答えが導き出せないときでも、目の前にいる患児と家族に対するその実践が、看護であったか、看護でなかったか、の評価には常に辿り着くことができます。臨地実習中の学生が、療養する患児へ入浴やおむつ交換、授乳や抱っこなど懸命に支援する様子をみて、その目的を問いかけた時には「看護師さんにやるように言われたから」「日課でやるものだと思った」「あまり深く考えていなかった」等と返答する学生も少なくありません。どのような理由でも実践に臨めたことは素晴らしいことである一方で、それが看護であるのか業務であるのか、実践する者の意味づけ次第で、“看護であること・看護でないこと”どちらにもなり得るものであると考えます。

 看護師を目指した時には、まさか自分が教員として看護学生を教えることになるとは夢にも思わず、現職に就いた当時も、自分が教員になってよいのか、教育とは何か、悩む日々でした。しかし、経験すればするほど、看護と教育は、ほぼ同じ姿を呈していることにも気づかされます。ある時は学年単位のマクロで、またある時は個別のミクロで、観察することや対話を重ねて対象理解をし、必要な教育ニーズを見出し、実践につなげること、そしてそれが、理想的な教育であるかは答えがなくとも、目の前の学生への関わりが“教育であること・教育でないこと”どちらであったかについては自分なりにリフレクションを続けています。「患児と家族」から「学生」へと対象が変化しただけで、本質は変わらないのかもしれない「看護」と「教育」の共通性に気づくことができたと同時に、これまで約4年間の教員としての実践を通して、教育観も育ってきたように思います。まさに、患児と家族に育てられた看護観と同様、学生に育てられている自分です。

 母校の授業の教科書として『看護覚え書』に出会い、当時の先生が本の解説をしながらエッセンスを伝授してくださったことから私の看護観の形成が始まり、それが今の実践の土台になっています。ナイチンゲールは、“What It Is and What It Is Not”を示すだけでなく、それら看護の前提にある患者に対するねがいをも教えてくれています。私も今、関わる学生に対してそれぞれにねがいを持ちます。看護師の後輩でもある学生に一人でも多くそのねがいを共有しつつ、目の前の患児と家族への“看護であること”を共に探究していきたく思います。

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