202205

周術期看護学実習のケーススタディ発表会を終えた学生と一緒に。1番右側が松永先生です。

九州大学医学研究院 保健学部門看護学分野 成人看護学
松永 由理子

佐世保市立総合病院(現 佐世保市総合医療センター)、佐世保市立看護専門学校で勤務後、佐賀大学大学院医学系研究科看護学専攻修了(看護学修士)。2011年佐賀大学医学部看護学科 成人・老年看護学講座に助教として入職し、2020年九州大学大学院医学系学府保健学専攻博士後期課程修了(看護学博士)。同年より現職。

共に考え、共に育つ

 私は臨床での経験が11年、看護基礎教育に携わって10年となります。看護教員としては、やっと一人前という頃でしょうか。新人教員の頃に関わった学生が病棟の中でリーダーをしていたり、臨地実習指導者をしていたり、成長した姿を見ることができることも教員を続ける力になっています。
 教育(education)という言葉を調べると、「教育を受ける人の知識を増やしたり、技能を身につけさせたり、人間性を養ったりしつつ、その人が持つ能力を引き出そうとすること」と説明されています(Wikipedia)。教育哲学者のR.S. Petersは、「教育とは教育を受ける人に価値あるものを伝達することを意味する」と示し、単なる教化(indoctrination)や錬成(training)や指導(instruction)といった活動とは区別し、何らかの目的に向けた課題(目標)を実現してゆくプロセスそのものが重要と述べています 1)。知識や技術を教えるだけではなく、どういう看護師に育ってほしいか、その根底にある自分の看護観が常に問われているような感じがします。この10年を振り返ってみると、私が教えられることは限られていて、特に臨地実習においては、患者さんや臨床の看護師、他の教員の協力のもと、学生に関わってきました。教え示すというより、共に考え、育つという“共育”の方が近いかもしれません。対象者の個別性に合わせて、臨床の看護師と一緒に関わってきたことを考えると“協育”にも当てはまるかもしれません。
 私は周術期看護学実習を担当していますが、実習開始の頃は術後の疼痛や症状がある患者さんに対して「学生だから何もできない」と話す学生が少なくありません。しかし、実習を重ねる中で、患者さんの苦痛を理解しようと耳を傾け、寄り添おうとする姿勢は患者さんに伝わり、患者さんから看護とは何かを学んでいきます。患者さんに喜んでもらったこと、学生でもできることがあったと感じることができるのが実習の醍醐味です。コロナ禍で制限はあるものの、臨床の看護師が多くの経験をさせてくれます。実習での経験をそのまま終わりにせず、振り返りをすること、看護としての意味付けをすることが教員としての役割と考えています。写真はケーススタディ発表会後に学生と一緒に撮影したものです。短い期間に、理論や文献を用いてまとめることは簡単ではありませんが、実習での経験を学生と一緒に振り返り、看護とは何かを考える機会になっています。

  • 1)Beckett, Kelvin Stewart. R.S. PETERS AND THE CONCEPT OF EDUCATION. Educational theory, 61 (3):239-255, 2011

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