東京女子医科大学大学院(博士前期課程・博士後期課程)で精神看護学を探求。博士(看護学)(東京女子医科大学)。精神看護専門看護師(日本看護協会認定)。市立札幌病院静療院、公益財団法人井之頭病院で臨床看護実践に携わり、高知県立大学看護学部(助教)、駒沢女子大学看護学部(講師・准教授)を経て、2024年4月より現職。
看護師としての自分の人生を振り返ったときに、私が看護にもっとも心を揺さぶられ、その魅力にとりつかれた出来事は「実習」です。私は「実習」が始まるまで、お世辞にも勤勉な学生とは言えませんでした。座学中心の学習だけでは、看護に対する興味や関心を広げることができず、何を聞いていても同じようにしか聞こえなかったのです。それは、授業内容の問題ではありません。私自身の「人」や「ケア」を想像する力が不足していたからだと思うのです。「実習」は現実的に考え、実践し、悩みながら自分なりに答えを探し求める貴重な時間になりました。実習の進展と共に、授業で学んできたことが繋がりを持ち始め、患者さんの役に立ちたい、もっと勉強したいと思うようになったのです。
私の看護師としてのアイデンティティは、ささやかな「抵抗」と振り返ることによる「気づき」によって少しずつその輪郭が形作られてきたのではないかと思っています。それはどういうことなのか?私は子どもの頃から誰かの引いたレールを歩くことに対して、頑なに抵抗してきました。そのため、簡単には他人の助言を聞き入れない学生だったように思います。「でもでも、だって・・・」の代表みたいなものです。そのせいか、物事を理解して、納得して進めるには時間がかかるのです。例えば、ちょっと試しにやってみないと、私の気が済まないのです。当然、失敗し、深く傷つくこともありました。しかし、そうやって自分で手応えを掴み、何らかの気づきを得て、「私」を作ってきたのではないかと思うのです。
看護教育の場に身を置くようになり10年が経ちました。30代の頃、教育に携わり始めたときは、学生と右往左往しながら、日々を過ごしていました。まさに奮闘している感じです。50代に突入した現在も、学生と右往左往することには変わりありませんが、何か質が違うような気がしています。30代の頃は、余裕がなく、自分のモノサシで学生を見ていたように思います。学生が成長して、どんな姿になっていくのかということを想像できていなかったのだと思います。最近は、モノサシも少しは上手に使えるようになってきたのではないかと思えるようになってきました。それも、すべては過去に出会った学生(教え子)たちのおかげだと感じています。私は博士課程を終えて一度臨床現場に戻った際に、教え子たちを新人看護師として迎え入れるという貴重な経験をいただきました。初めて出会ったときに18歳だった彼らが、現場に出て3年目になる頃までを一緒に過ごすことができ、どうやって看護師としての歩みを重ねていくのか、見守ることができました。一人ひとりに「看護のこだわり」ができ、自分のしたいことを表現できるようになる姿に驚いたり、感心させられたりしました。いまでは、そのうちの一人は専門看護師として活動をスタートし始めました。
人生において出会いは、偶然かつ貴重なものです。患者さんやそのご家族、そして現場でご支援いただいた職員の方、大学院の指導教員など、私は多くの方に支えられながら、「私の看護」を実践できるように歩んでまいりました。私に残されている時間は、学生が一人の看護職としての歩みを大切に進められるように見守り、支援することに費やしたいと思っております。そして、私は学生たちの成長のお裾分けにあやかりながら、私自身の学びや気づき、成長に繋げたいと思っております。学生から学ぶ姿勢を大切にし、これからも他者のアイデンティティを育むことに携わりつつ、自分のアイデンティティを磨いていきます。